2007年2月19日月曜日

研究について

研究編:webで氾濫している情報を集めてみる

webで氾濫している情報を集めてみる。


http://japan.cnet.com/column/cjic2005/story/0,2000055908,20085564,00.htm
これは、CNETでRSSで情報を配信することの優位性についての記事だ。

ちなみに、このブログはmixiというSNSサイトにも外部ブログとしてRSSで日記を配信しているのだが、このRSSという技術最近になって聞き始めた方も多いと思う。
このRSSとはそのページのメタデータである。

さて、このメタデータっていうのは、いったい何のか?こういう風に思われるだろう。そこで少し解説。 メタデータというのは広く言えば、実は、生活の中で昔から使っていたものなのだ。 というのも、あるものに対しての抽象度の高い部分をかいつまんでのデータつまり、そのデータに対してのデータ わかりやすく言えば、データのユニークな部分を付加的情報としてつけている。例としてはカテゴリー、製造年月日、制作者、商品番号などである。 つまり本体を見なくても一通りのことがわかるようにメタデータというのは、作られている。

Atom/RSSについて


RSSにおいては、色々バージョンがあったことも普通一般の利用者から見ればどうでもいいことで、知る由もないことだろうが、いちおうリンクをはっておきます。
http://www.intertwingly.net/slides/2003/seybold/6.html
私はRSSについて明るい方ではない。しかし、上記のサイトを参照された方でもバージョンがあがるにつれてその階層構造は、細かくそして、要素が増えていることがわかるだろう。これは拡張性の為にバージョンをあげている訳ではない。
RSSとは - e-words
上記のサイトより
「0.9-2.0系列」(Really Simple Syndication)と「1.0系列」(Rich Site Summary)の2系統に分裂している。
とある。このページになぜ2系統になったのかも書かれている。 ここで注意しておかないといけないのは歴史ではなく、RSSには、2つの流れがあり、この2つには互換性がないということだ。 主流になっているのはどちらのほうか?と聞かれたらどちらの方ということはわからないですが。。。でも、少しでも多くの人に対応させるという事になると、きっと、2つ分のRSSをはかせられるような構造にさせるしかないのかもしれない。
実は、AtomとRSSの違いってよくわかってないわかっているのは、AtomはRSSのあるバージョンをもとにつくられた規格って言うこと。

さて、なぜここで配信用の規格について書いたかというと、この二つの規格は配信用の規格であることそして、最大の特徴は更新されたもののトピックだけ配信する情報としてのせられるという訳。 つまり、RSSだけみていればそのページの何が更新されたのか?ということがわかるということだ。これにより、うけて側がチェックする手間が省けるっていうことね。
RSS,Atomについては、後々にでも書くとしてますか。

研究の対象となるのは、WEBにあるドキュメントの情報って言うのはどこに気が向いているのかということ。 すべてのドキュメントを一からあさるのではなくあさってくれるのはコンピュータになる訳だが、これをどういう風にすれば効率的に、集められるのか?っていうこと。 問題としてあげられるのはブログ等を書いている人の層だ。 これは人数からみるに利用している人間っていうのは下が10代上が50代だろう。 無論、この世代の絞り込みだって上の方はかなり少ないだろうが。
確かに情報的には日本から見れば一部の情報かもしれない。しかし、情報を配信している人間はコンピュータリテラシーに明るい人間か、何らかしらの情報を配信したい人間のはずだ、それを集めればきっと有益な情報になるに違いない。そして、この情報はユーザからリアルタイムで得られる情報としてかなり信用性のあるものであるに違いないからビジネスに使えるはずだ。というのがこの研究をしたいと思ったきっかけだ。

2007年2月7日水曜日

使えない人間なんていない

  1. 使えない人間なんていないhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/2リンク0070131/260144/

@ITが出していた記事の話ですが、できる人間とできない人間という話から始まっており、途中でセミナー等に参加している人を交えてのその参加者の人間像について書いてあります。確かにこれには思い当たる点があります。今までの経験上できる人間と見えた人はそのできていない人たちのことをできない人とは決めつけないのです。
これを逆に読んでできない人間と決めつける人はできない人間か?という話もできますが、これは多分違うと思います。おそらくその人なりの性格や、判断基準に基づいてワンマンで動く人間がそういう判断を下すのであろうと思われます。もしくは、気持ち的に余裕が無い人間かどうかということです。いずれにしてもここで話していることはそういうことじゃなくてできない人間なんていないってことっす。 できてない人間はいるにしても、本当にできない人間なんて人間は成長するものですしいないと思われます。
と、これを読んでできてない人間である自分は、結構救われていたりします。

2007年2月2日金曜日

向上心について

まだ自分のコンテンツを作ろうと言って作ってない俺にこのサイトの言葉がかなり身にしみました。
http://app.blog.livedoor.jp/hyper_kimi/tb.cgi/50285571
このリンクの記事でしょうか? 先生方からみた発表会についての考察・感想が述べられており、かなり生徒にとっては推進力になる言葉でした。思っているならいってあげたらいいのにと思いますが、やる気になっている人は何も言われなくても自分で作っています、対して、やる気になっていない人間は何を言われてもやることはないでしょう。


私もサーバーがあるのにコンテンツを作らないという創作性に欠ける生活でしたので、これからどんどん作っていかないといけないと、ひしひしと。そう。ひしひしと、思うのでありました。